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『甘く危険な香り』

 北の夏らしくない、汗が乾かない不快な一日の終わり。シャッターを閉め、外に出るとこのうえない風が吹く。香りがいい。樹々の安堵の溜息か、アスファルトとコンクリートの熱が冷める匂いか…。懐かしくもあり新鮮でもあり、思わず大きく吸い込み身体中にその香りをゆきわたらせる。するとこみ上げるのは不敵な「ニヤリ」とした笑顔。爽やかな…ではなく。それは、どこか「ワルい」のだ。
 理性と秩序が支配する人間の世界が、弱肉強食の森の野生に変わったような。魔がさす香りなのだ。夜の闇は深く、漆黒に近い蒼。広がりがあるのはそのせいだ。懐かしさは、その森に住んでいた記憶か。頼りになる相棒を駆って、蒼い闇の森を彷徨うのは、特別のことではなかった。誘われるままに。独りで。どこか怖いのに。どこか嬉しくて。ヤラれているのも解らずに…。
 辛うじて社会人になった今、そう想い出すのは、今は棲んでいないからか。夜は速度感が不確かになる。見えない路面状況とコーナーのその先。ナイトランは技術的に得られるモノがない…云々。ホントはオートバイに乗るのにそんなモノは二の次だってことを知っている。得られるのは悦び。匂いを嗅いだだけでリアルに思い起こされる肉体と精神の快感。今さらに気がつく『甘く危険な香り』だ。
 そのことを知った上で走り出すからには、それはもう確信犯だ。蒼い闇と魔の森の芳香にヤラれている自分を知った上で、恐れながら…楽しむ。

 巷には、ワケもわからず闇の森の恐怖に群れる羊のような狼もどき達や、既に気を失っていることに気が付かないでただ笑いながら狂気に対峙する森の獣でいっぱいだ。うんざりしながらもどこか同調してしまう自分もいる。過去の過ちとして封印できる類いの感情ならばそれもいいが、恋や夢と同じ、放っておいても湧き立つ想いには向き合うしかないし、それを楽しみたいと思う。さらに今は、その蒼い闇の森に、トモの存在を感じるしね。棲んでいるに違いない。それも普通に。
 ほんの短い北の夏の夕方、抗しきれないいい香りがする。
 愛機のエンジンに火を入れ、蒼き闇の森に繰り出す。低く広がるエキゾーストノートをBGMに、でも軽やかに。多少ヤラれている自分を、でも確実に認識し…笑い…楽しむ。
 そんな時は独りがいいけど、ま、出てくるなら一緒に走るか。時は過ぎ、40と数年にまた一年が加わり、いつもどうりの夏が来た。そして変わらぬあの香りがする。
 どうか皆、魅入られることがあっても自らを見失わず、走り続けていてください。


 ぢゃ、また。

 

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